井上 祐紀 准教授

更新日:2019/07/01

今年4月に東京慈恵会医科大学(以下、慈恵)に着任した井上祐紀准教授は、「まだ白衣に慣れませんね」と笑います。これまで児童精神医学の分野で、主にADHDの幼児、思春期、青年期の子どもたちを診察し、研究を重ねてきました。

慈恵に赴任するまでは、診察する際の服装は、ポロシャツにパンツ姿。病院にやってくる子どもたちが、より身近に感じてほしいからだったと言います。慈恵では、児童に特化するのではなく、子どももいるけれど、親世代の大人も高齢者も、いろいろな世代の治療をしていきたいと話しています。

専門は児童精神医学でADHDを中心に研究してきました

岐阜大学医学部を卒業後、国立国際医療センターで内科研修医、福島県立医科大学精神科診療医。国立精神・神経センター精神保健研究所研究室長などを経て、2019年4月に東京慈恵会医科大学精神医学講座准教授に着任。
主な研究テーマは、「ADHDの神経生理学的研究」「児童思春期における行動医学的支援」「家族支援・支援者支援のための支援技法」など。訳書に「教師と親のための子どもの問題行動を解決する3ステップ」、共著に「ポップスで精神医学」などがあります。

「福島にいたころから子どもも大人も区別なく診療していました。特にADHDは、子どもに限ったことではないので、成人のADHDの診療も行なっていました。
そういう臨床経験をもとに、自然に子どもや大人のADHDの特性に興味を抱いて、国立精神・神経医療研究センターではADHDの研究を続けてきました」

井上 祐紀 准教授

ADHDの子どもたちは?

「病院にやってくるお子さんの親御さんは、“この子はさぼっているだけでは?”“反抗しているだけなのでは?”と戸惑っておられます。ADHDを持つ子どもたちは、態度、やる気、真剣みなどの点で問題があると受け取られがちなのですが、彼らの多くは、ほかの子どもたちと同じように、何事にもやる気をもって真剣にやらなければいけないと思っているのに、どうしてもできないのです。
みんなと同じように静かに座っていなければいけないことは分かっているのに、動いてしまう。自分の動きと集中力がコントロールできない。ADHDはそういう脳機能の特性を持った発達障害なのです。

では、私たち医師は、子どもたちにどう接して、治療していくのか。私たちは子どもだけを変えようとはしません、欧米のガイドラインをみても、ADHDの支援・治療のファーストチョイスは、ペアレントトレーニングなどの親への支援です。子どもの行動を変えようと思ったら、まず大人の行動を変えてみようというのが世界的な流れです。

患者さんとしてカルテがあるのは、その子だけれども、親や教師がどのように接してくれるかによっても、子どもたちは安定した生活を送れるかどうかが変わります。
一方で周囲の支援が足りなかったり、また不適切な対応をされれば、子どもたちはどんどん反抗的な行動を増やしてしまうかもしれないのです。

慈恵でも、大人や中高生に混じって、小学生や幼児の相談が少しずつ増えています。特に小さい年齢のお子さんについては、お子さんをトレーニングするというよりも親御さんに来てもらって、さまざまなプログラムを通して、子どもへの声のかけ方、接し方、遊び方、子どもの行動の考え方を学習できる機会を作りたいと思います。

大人になってからのADHDを含む発達障害の診断はあまり簡単ではありません。まず臨床医の目にとまる症状は、抑うつ気分や不安だったりします。一見、発達障害の行動特性が目立たないように見えても、話題がポンポン飛んで落ち着きがない、対人関係に困難さがある、集中が難しい、などの特性がなかったか、さらに詳しく問診して診断しています」

井上流診察の仕方とはどういったものですか?

「それぞれの患者さんの症状に対応していくために、まずは行動医学的な視点を持って観察し、治療をしていきます。
子どものADHDであれば、子ども自身の行動の問題だけではなく、大人が叱りすぎていないか、学校の先生が厳しく接しすぎていないか、という視点をもって問診します。子どもたちのQOLをよりよくするためには、周囲の大人はどんな行動をとればいいのかという、アプローチで診察します。
もちろん行動・感情の問題を緩和できる薬もあるのですが、あくまでも薬はわき役です。
薬は、その子に見合う最小限度の量があればいいと考えて使用しています。
お母さんから“この子がまた暴れたんです、またけんかしたんです”と言われても、“では薬を増やしておきましょう”と応じるとは限りません。親御さんは医者が薬を増やすことで“医学的に対応してくれている”と取るかもしれませんが、そのケンカはどうして起こったのか、どうして暴れたのか、を聞き出し、本人が少しずつでも懸念を話してもらえるようにすることが大事だと思います。薬はひとつの選択肢ではあるけれど、まずは行動医学的な視点で治療したほうがいいと考えています。

診察室に入ってくる患者さんに、多くの医師は“どうしましたか”と聞きます。医師は、患者さんは病気を治したいだろう、改善したいだろうという前提があるからこそ、そのように聞くのだと思うのです。
しかし、大人に連れられた子供の患者さんたちは、どうしたも、こうしたも言えないくらい混乱しているかもしれません。大人なら“どうしましたか”の質問に答えられるかもしれませんが、子どもは必ずしもそうはいきません。

私が子どもたちに初めて会うときは、“こんにちは、井上です。今日私は、あなたの健康状態を診させてもらうために、お会いしています”と挨拶します。
やってくる子どもたちは、何のためにここにいるのか、もしかしたら怒られるのかもしれないと戦々恐々としています。ですからまずは名乗って、何をしようとしているのかを伝えます。私はあなたの健康に関心があるんだよ、というところに重きを置いて診察していかないと、子どもファーストの支援・治療にはなりません。

病院までやって来たのに、駐車場から一歩も動けない子もいます。児童精神科では、これは日常茶飯事です。
そのような場合には、私は駐車場まで歩いて行って、自分が誰かを名乗ります。そして“今日はここまで来てくれてありがとう、今いるのが精一杯なら、今日はここまでにしましょう。また次、待ってます”と伝えます。そしてお母さんには、ここまでこられたことをほめてくださいと話します。最初の出会いが安全ならば、次からはきっと来てくれるようになるかもしれません。

今、精神科では、脳科学的なアプローチの研究もできるようになりました。ADHDを持つ患者さんたちを対象に、脳血流を測定できる、小さなデバイス『近赤外線スぺクトロスコピー(NIRS)』があります。近赤外線を脳に当てて、脳内のヘモグロビンの変動を見る機械です。検査室で行う大がかりなものではなく、外来の診察室でも測れます。
頭に巻いて、課題に取り組んでもらうと、リアルタイムでパソコンに脳血流変化の波形が出てきます。
この機械のおかげで、簡単に脳活動の測定ができるようになりました。
NIRSはどこの病院にもあるといわけではありませんが、これからは慈恵でその測定ができます。
精神・神経医療研究センター時代からこの脳科学の研究を続けてきたので、エビデンスが蓄積されつつあります。
慈恵でもこの研究をさらに進めていけると思います。

慈恵でやりたいことは何ですか。

「子どもと大人を診るための一通りのミニマムなスキルを備えた医師を育成するために、自分にできることを伝えていきたいと考えています。
具体的には、児童精神医学を学んでみたいと考えている若い医師向けに、面談スキルのマニュアルを作り、構造化された教育プログラムにまで持っていけるような構想を練っています。

困った状態で来院された親子にどんな面談をするかは、とても重要です。これまでの私の臨床経験の蓄積を、8個のステップを基に、たくさんのコツをまとめ、最後につけたチェックリストを使い、親御さんへの関わりのポイント、お子さんへの関わりのポイントが、バランスよく達成できているか、などを自己測定できるようにします。

こんなことを言うとお叱りを受けそうですが、今や昔風に師匠から弟子へという一対一の関係性の中だけで、診療のやり方を伝達する時代ではないと思うのです。これまで私も含めて医師たちは、上級医の見よう見まねで自学自習してきましたが、それはすごく遠回りで効率が悪い側面があり、たくさんの失敗も経験しました。
失敗するのはけっして悪いことではないのですが、もっと明確なプログラムがあれば、若い医師は患者さんとより早く信頼関係を作ることができるのではないかと思うのです。

もちろん簡略化したマニュアルには限界があります。マニュアルはあくまでもミニマム・リクワイアメントですから、そこからは先は、個々の先生方が関心をもって勉強してくれればいいと思っています。

最近、医局の中に“発達・行動医学研究会”を立ち上げました。発達はライフサイクルに沿って育ちをサポートするための医学。行動医学は今何が起きているのか、行動や認知を中心に診ていこうという医学。その両方を学ぼうという意味で名づけました。私が主宰し、月1回のペースで、こういう分野に興味がある先生方に集まってもらえたらいいですね。
私自身、国内外の研究者とつながりもあるので、ネットワークも活用しつつ、この分野の研究を少しでも活性化していけたらうれしいです」

家族丸ごと支援できる精神科医を目指したい人集まれ

「実はどこの児童精神科も初診予約がパンク状態です。需給のバランスが悪く、中にはかかろうと思ったら1年待ちとという病院もあります。しかも多くの児童精神科の医療機関では、18歳で、大人を治療する他院に移らなければいけないようになっています。年齢で区切られて、親しくなった医師と別れるのは、患者さんにとってもつらいことではないでしょうか。

大学病院という慈恵ならではの利点を生かし、子どもの精神科医としてだけではなく、ライフサイクルに沿った精神科の治療を目指したいのです。
大学病院には、妊婦さんがいます。出産したらベビーから幼児、学齢期のお子さんと大きくなってからも関わり続けられます。思春期、青年期、成人してからも引き続き治療は可能です。
子どものお母さん、お父さんは、育児をしていくうえで、メンタルの問題を抱えるかもしれません。しかし、お子さんが生まれる前から、そして産んでからも、早い段階で子育て上のリスクを発見して支援できれば、虐待防止にもつながっていくかもしれません。早め早めの支援や介入ができれば、かなり違ってくると思っています。

必要とあらば、家族丸ごと支援する。そんな気持ちのある精神科医を目指している若い医師たちに、ぜひ慈恵に来てほしいですね。待っています。