布村 明彦 教授

更新日:2019/08/27

昨年9月に東京慈恵会医科大学(以下、慈恵)に着任し、今年の4月からは教授に昇進。病棟長として、若手のレジデントやローテーター、学生ら約10数人を指導しながら入院患者の診療にあたっている布村明彦教授。「若い頃に戻ったようで毎日がエキサイティングです」と話します。

専門は老年精神医学で、研究テーマは「認知症の病態における酸化ストレス」。文部省在外研究員(当時)で2年間赴任したアメリカ留学以来、継続してきた「脳の変性疾患におけるRNA酸化障害」の研究は、国際的にも評価されています。

日本は人生100年時代の超高齢化社会。認知症を「皆が行く道」として捉え、「認知症があっても元気で喜びを持って生活できること」を診療の目標に、地域社会の再生を視野に入れた課題に取り組んでいきたいと考えているそうです。

布村 明彦 教授

布村先生は、北海道旭川市の出身。旭川医科大学医学部を卒業後、同大学院を修了して、同大精神医学講座助手として勤務。1997年からは、アメリカのケース・ウェスタン・リザーブ大学神経病理学研究所に留学。帰国後は旭川医科大学、山梨大学准教授を経て、2018年9月に慈恵精神医学講座准教授、そして教授に昇進しました。国立大学に所属した年月が長い布村教授ですが

「都心の私立大学病院で、慈恵というブランドを信じて通ってきてくださる患者さんとご家族の期待に真摯にこたえたいと思っています」

一貫して「酸化ストレスと神経変性」を研究してきました

「私は学位論文の研究テーマから、脳の老化とアルツハイマー病をはじめとする認知症疾患にフォーカスして、酸化ストレス仮説に基づいて研究を進めてきました。リポフスチンという加齢色素の研究が出発点でしたが、一貫して酸化ストレスに注目して動物実験を繰り返していました。留学先のケース・ウエスタン・リザーブ大学の病理学研究所のジョージ・ペリー研究室が、同じ仮説に基づいた優れた論文をすでに発表していましたので、手紙を送り熱意を伝えて留学へつながりました。非常に幸運だったと思います」

所属していた旭川医大の推薦を受け、在外研究員の資格で布村教授が入った同大学病理学研究所は、五大湖のひとつ、エリー湖岸にあり、出身者の中にはノーベル賞受賞者もいるアメリカでも有数の大学として知られています。
「留学する前にかなり英語を勉強していきましたが、最初はジョージ・ペリー教授の言うことがよく聞き取れず、苦労しました(笑い)。日本から先に留学していた研究者の力を借りながら、徐々にラボの環境にも慣れ、研究に没頭していきました。

研究所では、アルツハイマー病の剖検脳そのものを使い、酸化ストレスマーカーの研究をすることができたのです。当時の日本、特に地方医大では、こうしたマテリアルの入手は簡単ではなかったのですが、留学先では研究所のブレイン・バンクに蓄積されており、実際に使用しての研究が認められていました。
提供者のきちんとしたレコードがあり、明確なソースで倫理的な条件をクリアしていたからこそできたのですね。
今でこそ、アミロイドPET、タウPETで、生前に脳内病変の集積分布までもが視覚化されるようになりましたが、20年前に、剖検脳を使わせていただく機会に恵まれたのは、非常に貴重な経験でした」

こういった神経病理を基盤にしたアプローチは、生物学的精神医学の中では、日本の医学に古くから取り入れられてきた方法です。布村教授は次のように語ります。
「脳の切片を使って染色して顕微鏡でみるという研究の方法は、確かに歴史的に見ても、シンプルで古いやり方かもしれません。近年、若い研究者がこの分野に集まりにくくなっているのも、手間も時間もかかるところに理由があるのかもしれません。神経病理学を研究手法とする精神医学の研究者が、絶滅危惧種だというゆえんでしょうが、研究は非常に意義のあるもので、価値ある発見にもつながります。遺伝学などの進歩から見出された重要な分子が、実際に脳内で他の分子とどのように関連しているのかを精緻に解析するためには、神経病理学的手法は今後も不可欠なアプローチなのです」

布村 明彦 教授

研究で見えてきたもの

さて、アルツハイマー病をはじめとする認知症疾患の病態解明は、これまで脳に異常に蓄積するアミロイド・ベータなどのタンパク質を中心に研究されてきました。しかしいまだに、根本治療薬の開発には至っていません。

「ワン・プロテイン、ワン・ドラッグで、アルツハイマー病を制御しようとするのは難しいかもしれません。
他方、患者試料や遺伝子改変動物あるいはiPS細胞モデルなどの研究から、病態の進行過程の早期段階における酸化ストレスの関与が解明されてきました。私自身も酸化ストレスによるRNAの酸化物である8-OHG(ヒドロキシグアノシン)をマーカーとして研究を行い、アルツハイマー病の前段階である軽度認知障害で、脳内8-OHGの増加が認められることも確認しています。
予防も含めた対策としても、酸化ストレスが重要なターゲットであることは明らかなのです。
これら蓄積タンパク質と酸化ストレスの両方の側面からのアプローチは、けっして相反するものではなく、相補的に進められたら良いと思っています」
今後は、認知症の診療において、酸化ストレスを指標にした発症予測マーカーの確立や酸化ストレスを指標にした早期介入をしていきたいと、布村教授は構想を語りました。

酸化ストレス対策、ホルミシス理論

それでは、高齢者における認知機能低下や認知症発症率を抑制するためには、酸化ストレスを減少させたほうがいいのでしょうか。残念ながら、ランダム化比較試験と呼ばれるハードルの高い臨床実験で有効性が証明された抗酸化サプリメントはなく、多種多様な抗酸化物質を食物からとったほうが良いと、布村教授は言います。

「そして大事なことは、酸化ストレスの最小化を目指すよりも、適度な酸化ストレスを日常的に負荷するほうが有効だと考えられるようになってきたことです。これがホルミシスと呼ばれる概念です。継続的な運動などによって適度な活性酸素を生むことで、生体内で制御されている抗酸化機能を刺激して高めるほうが、体外から抗酸化物質を多量に投与するよりも有益だと言われています。生活習慣病をしっかり治療し、バランスの良い食事を摂る、運動を週に2~3回程度行う、人の中に積極的に入って行動する。これらは抗酸化機能を高めて酸化ストレスから脳を守る活動であり、認知症の予防につながっていくのではないでしょうか」

布村流認知症診察

認知症患者さんが初診にやってくると、布村教授はまず、患者本人と向き合います。患者さんの「昔取った杵柄」に話を広げて、リラックスさせながら診察、検査を進めていくそうです。検査結果がでると、次は介護家族の認知症受容のステップに思いを巡らせます。
「何事にもやる気が乏しくなる症状をアパシーといいますが、私は記憶障害よりもアパシーに着目して、その視点をご家族と共有できるようにします。多くのご家族は、認知症イコールもの忘れ、と考えていますが、決してそうではありません。処方される薬も、単にもの忘れの治療だけのものではないのです。

認知症治療の最終目標は、適切な支援により、その人らしい暮らしを維持することにあると思います。そのために不可欠なのは、早期からの適切な薬の選択と介護サービス利用です。これらの助けで、患者さんの脳と体のリズムを保つことができ、生き生きとした表情を取り戻せるからです。

とかくご本人が地域の名士である場合など、ご家族は認知症であることを認めたがらず、ついつい治療が遅れがちになってしまいます。“うちの父は、介護サービスを受けるほどではないのです”と否定されます。しかし、“予防の時代、社会全体で支援していくのが今のやり方です”と話しながら、本人にいちばん合った薬を見つけ、介護サービスの利用をすすめています。
定期的に出かける場所があり、訪ねてきてくれる人がいる。それらの治療的な意義はとても大きいのです。
その結果“生活のリズムが良くなりましたね、順調ですよ”とお伝えすると、家族にゆとりも生まれてくるものです。

一方、早期に適切な薬と介護サービス利用につながらなかった患者さんのQOLは、どんどん下がってしまうリスクがあります。本人と家族の心的な葛藤や不適切な薬の服用による副作用、家族の介護疲れにつながって、リズムを失います。しかしいったんQOLが下がってしまった患者さんでも、治療は可能です。それもより早い段階であるほど望ましいのですが、外来では難しいケースなら、入院していただいて軌道修正していく。私も病棟で、QOLの向上に成功した症例をみています」

慈恵でやりたいこと

今世紀に入ってRNA機能について革新的な解明がありました。それは遺伝子発現制御にかかわる非翻訳型RNAが高次脳機能を含む生物の複雑性に対応していることが判明したことです。
「脳のRNA酸化は認知症疾患のみならず、統合失調症やうつ病の脳でも増加されることが報告されています。患者さんにとって血中や尿中で測定可能な認知症診断マーカーの確立が急務です。

慈恵では、臨床研究によって、このマーカー開発にも挑んでいきたいと思っています。
加えて心がけているのは、心のこもった医療です。若い頃は自分のこと、自分の研究に精一杯で周りに目を向けることがなかなかできませんでしたが、年を経るにしたがって高まる能力もあります。共感力とでもいいましょうか。患者さんに寄り添って診療していきたいですね。そして私が経験してきたことを、若い医師たちに伝えていきたいと考えています」